「日本は、その一方の極にある自己愛的な、アメリカ型社会を追随するしかないのだろうか。そのどちらでもない、中間にある第三の道にこそ、日本の選ぶべき健全な社会があるように思える。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「前述の『アンチ・オイディプス』には、資本主義社会が、分裂症的な遊牧型と妄想症的な中央集権型との間で振り子運動をすることが述べられている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)「そして、今、家族や会社も、永続的な価値を失おうとしている。そして、残った最後の価値が、自己愛と貨幣なのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「さらに、近年のグローバル化した資本主義は、資本主義が本来持つ、ドライで、エゴイスティックな本質を、再び露呈させようとしている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018/11/21
「では、現代人の価値観の本質とは、一体、何だろう。「自分」や「個」に基準をおくという点では、それは、個人主義といえるだろう。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「また、そうした擬似現実のもう一つの特徴は、オン・オフ、快・不快、敵・味方といった二進法的原理に則った世界であるということだ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「時代は、「自己愛の時代」から「自己愛障害の時代」へと移り変わろうとしているのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「国家やイデオロギーという幻想に失望し、アイデンティティを失った人々が、唯一拠り所としたのが、「自己愛」であるとした。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018/10/9
「倫理や規範が弱体化し、ルーズとなった社会は、人格障害にとって、悪い部分を出しやすい環境だといえる。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「社会的要因としては、すでに述べた核家族化や離婚や片親家庭の増加が挙げられるが、それらは、さらに根底にある、大きな流れの部分現象のように思える。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「そもそもなぜ起きているのかということである。人格障害を生み出す直接的で最大の要因は、これまで見てきたように、養育の問題であり、家庭の機能不全である。だが、」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018/10/8
「犯罪大国であるアメリカは、人格障害の先進国でもある。人格障害の有病率は十~十五パーセントと推定されている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.09.07
「人格障害を克服する最後の段階は、親を求めたり、誰かのせいにする気持ちを脱し、諦めと悟りの中で、自分自身で責任を引き受けることなのだと思う。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.09.06
「回避性人格障害の人は、いつも親に否定され、「○○には無理よ」とか「やっぱりダメね」とか言われ続けてきたことが、自分を自信のない、マイナス志向の人間にしたのだと悟る。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「あるいは依存性の人なら、「うまくいっています」「どうにかやれています」と平穏無事を強調する答えが多い。ところが、よくなぞってみると、いろいろ厭なことはあるが、自分が我慢すればいいと思っていると言ったりする。本当にそれでいいのかと問うと、どうしようもない、そうするしかないと、半ば諦め顔に言う。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.09.05
「人格障害の人にとっては、しっかりとした枠組みの存在自体が、落ち着かせる作用を持っているのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.09.04
「人格障害の人は、基本的な安全感に欠け、攻撃的な鎧の下には、傷ついた獣のように怯えている心が隠されている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.09.02
「だ自己愛のもっと醜く危険な側面を露呈している。他者を、同じ心を持った存在としてではなく、玩具や人形のように扱うばかりか、服従させ、辱めを与え、思い通りに支配するという関係は、本当の対象への愛とは正反対な行為であり、自己の優越性への欲求を、不正に満足させることに他ならない。こうした利己的欲求を、反撃の恐れのない、もっとも弱者である者に向けたのが、幼児性愛なのだ。そこ」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.08.30
「ある。幼児性愛が、ハンディキャップを抱えていたり、対人関係が苦手で、コンプレックスの強い者に、比較的多く見られるという事実も、これと関連している。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.08.29
「引きこもりを生じやすい人格障害としては、回避性、自己愛性、統合失調質人格障害などが重要である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.08.23
「どの非行少年にも共通している問題は、自己否定感や自己イメージの悪さと、他者に対する信頼感の乏しさや否定的な見方である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より
-2018.08.22
「一方、拒食症では、強迫性人格障害、回避性・依存性人格障害の合併が多い。本人だけでなく、親の強迫パーソナリティが、発症の危険因子となるともいわれている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「過食症は、母性的な愛情に対する飢餓との関係が深く、境界性人格障害、演技性人格障害の合併が多い。母性的な愛情への欲求を、食べるという代理行為で満たしているというのは、単なる言葉の綾や喩えではない。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「娘と同じ格好をし、娘と姉妹のように話せると自慢する人がいるが、そうした行動の裏には、自分も「オバサン」ではなく、娘でいたいという思いがある。そこには、いつまでも主役でいたいというナルシスティックな願望がある。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.8.20
「強迫性人格障害は、とても律儀で責任感が強く、完璧主義で、自分にも厳しいため、弱音を吐くということができず、とことんまで義務と責任に殉じてしまう。また、慣れ親しんだものへの執着が強く、変化に脆い。喪失体験が堪えるのである。自分で自分を追い詰めやすいため、周囲が気づいて、早めに休ませることが大切だ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.8.8
「いわゆる「うつ」と呼ばれるものにも、ストレスや離別に反応して一過性に生じた「適応障害」から、脳内の伝達物質が明らかに枯渇して生じる「大うつ病」まで幅広い。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.8.7
「強迫性人格障害の人は、いわゆる「人格障害」という言葉のイメージとは、正反対な「善人」である。とても道徳的な倫理観の持ち主で、義務や責任を重んじ、律儀で生真面目である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「このタイプの人は、物事には、決められた秩序があり、その通りにすることが最良であると深く信じている。それは、生活の細々とした規則や方法から、日々の予定、仕事のやり方、恋愛や遊び、子育て、さらには人生設計、道徳観にまで広く及んでいる。生活自体を楽しむことよりも、自分の秩序ややり方を維持することの方に、注意とエネルギーが注がれる。 強迫性人格障害の人は、何事にも、パーフェクトを目指して努力する頑張り屋である。ほどよく手を抜いたり、いい加減にするということができない。完璧を期す余り、細部にこだわりすぎて、肝心要のことがおろそかになったり、期限に間に合わなくなったりする。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「依存性人格障害の人は、自己評価が低い。そのため、自分を安売りする。このケースの女性のように、魅力的な容姿をしていても、自分に自信がないため、とても自分を軽く扱う。友人や伴侶の選択においても、相手の本質を見抜く力が乏しく、甘言やパフォーマンスに騙されやすい。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「親がその人の能力や自主性を認めず、抱え込んだり、支配してきたためだ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「依存性人格障害の人は、断るのが苦手である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.8.6
「引きこもりや結婚しない若者やセックスレスのカップルは、このタイプの傾向と関係がある場合が少なくない。回避性の傾向は、自己愛性や境界性とともに、現代の若者に強まっている、もう一つの極として重要である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「失敗したり、恥をかいたりするのではないかということを恐れて、対人関係を極力避けたり、社会へ出ていくことに尻込みする。ことに、就職や結婚といった新しい生活に乗り出すことに、ためらいや不安を感じ、のらりくらりと避けたり、先延ばししたりする。現実の中で自分を試し、可能性を開花させることよりも、現状維持の方が気楽で安心だと考える。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「失敗したり、恥をかいたりするのではないかということを恐れて、対人関係を極力避けたり、社会へ出ていくことに尻込みする。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「回避性人格障害の人のもっとも大きな特徴は、失敗や傷つくことを恐れる余り、行動や決断を避けるということである。実際は、やりこなせることも、もしうまくいかなかったらという不安が、行動や決断にブレーキをかけてしまうのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「社会性人格障害の人の文法は、肯定と否定が逆になる。そのことを弁えずに、当人の言う言葉を額面通りにとっていけば、冷血な極悪人以外の何者でもないという結論に、容易に到達する。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.8.5
「そこには、親自身が子育てに打ち込めない事情や親自身が抱える問題が、大きく影を落としていることが多い」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「人間が生きていく上において、もっとも大切なものである基本的な安心感が、このタイプの人格障害の人には、培われていない。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「このタイプの人の陥る抑うつは、「見捨てられ抑うつ」と呼ばれる特性を持っている。「自分はいらない存在」という思い込みがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思い込みを確信させ、一挙に絶望感につながるのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「境界性人格障害の人が抱える自己否定感は、幼い頃に、愛情の充足や安心が脅かされた体験に根ざしていることが多い。そのもっとも典型的なものは、虐待を受けて育った人に見られる。性的な虐待を受けたようなケースでは、演技性人格障害や薬物乱用を合併しやすく、より重症化しやすい。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「また、このケースでも見られるように、演技性人格障害の人にとって、性は重要なテーマである。性的に相手を誘惑し、相手が自分の肉体や女っぽさ、男っぽさに陶酔し、賛辞を捧げることほど、このタイプの人を満足させることはないのである。このタイプの人は、それなしでは、生きた心地がしなくなる。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.7.24
「裏切られた父親像は、健全な男性像として取り込まれず、過剰に性的なイメージと化して彼女に取りつく。それを手に入れようとする衝動は、あらゆる男性に対する誘惑という行為となって、果てしなく繰り返されるが、現実の男によって満たされることはないのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「その頃から、マドンナの父親に対する執着が強まっていく。 「女の子はみんなそうだけど、あたしも父に恋してたの。父を失いたくなかった。母は失ってしまったけど、それならあたしが母になるんだ、父はあたしのものだって」」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「演技性人格障害の人の最大の特徴も、他人を性的に誘惑し続けるということである。このタイプの人は、しばしばそうすることでしか、自分の価値を確かに感じられないのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
原来如此…麦当娜的MV中的表演就可以解释了..
-2018.7.23
「統合失調質人格障害では、侵襲的でない、定常的な環境では非常に強みを発揮し、僧侶や修道僧のように、禁欲的に、黙々と自らの日課を続けることができる。性的欲望や関心自体も、淡白なことが多い。基礎的分野の研究やプログラマーなどには適性があり、実際、そうした分野で活躍している人が少なくない。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「統合失調質人格障害では、非常に傷つきやすく、脆い自分の世界を、自閉という手段で守っている。自閉は必ずしも、引きこもりを意味しない。社会的に役割や仕事をこなしている場合でも、他人との間に見えない自閉の膜を張ることで、自分の内界を守っていることは、よくあることなのだ。こういうタイプの人が、無理をして親しい付き合いを始めると、逆にバランスを崩したり、日々の生活にひどく疲れを感じ、かえって物事がうまく運ばなくなる。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「シゾイドな人は、孤独という砦を築くことによって、自分の世界を守っている。彼の心は、余りにも繊細で壊れやすい、ガラス細工のようなものであるため、外界の人との普通の接触さえ、下手をすると破壊的な作用を及ぼしてしまう。スキゾタイパルな人よりも、ある意味、もっと傷つきやすく、脆い部分を抱えている。このタイプの人が自分を守れる方法は、唯一、人との接触を最小限にすることなのである。つまり、自閉が、このタイプの人の基本的な対人関係のスタイルなのである。 したがって、もっとも内奥まで侵入を許す関係である恋愛や性交渉は、このタイプの人にとって、自己を破壊しかねない危険をはらんでいる。若い肉体は、恋愛や性的関係を望む一方で、その人の」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
是有点矛盾的…
-2018.7.18
「スキゾタイパルな人の頭の中では、いつも考えが湧き起こっている。思考が止めどもなく溢れ、勝手に連鎖していくのだ。自分の考えに、思わず笑ったり、自分の思考と対話してしまうこともある。思考の方に、気を奪われているので、現実の方には、注意がおろそかだ。現実のことなど、つまらないので、適当でいいと思っているのだ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「ドーパミンは、快感や興奮とともに、インスピレーションや創造性に関係が深いのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.7.16
「オウム真理教の麻原彰晃や池田小学校事件の宅間守も、反社会性人格障害とともに、この障害の存在が疑われている。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
最近被执行死刑的麻原彰晃…
「強い対人操作性や衝動性、自己顕示性を示し、もっとも「人格障害」的な人格障害といえる。成因としては、遺伝的な因子の関与も否定できないが、養育環境の影響が大きいと考えられている。愛情や保護の不足によって、自己愛の傷つきを生み、基本的な信頼感が損なわれているため、変動の多い対人関係を持つことになりやすい。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「その一つは、人にアピールする能力である。人格障害の人は傷つきやすく、現実面の弱さや無能力さを抱えている。そうしたハンディのもと生き抜くためには、他人の庇護や助けを借りる必要がある。そうした必要性が、彼らの自己アピール能力に磨きをかける。他人の心を捉え、動かすことは、いくつかのタイプの人格障害の人にとって、命綱のような意味を持つのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「たとえ、それまでずっと保護と愛情を与えてくれている相手であろうと、今この瞬間に満たしてくれない者は、その人にとって、悪なのである。こうした加害行為において、本人は、自分こそが「被害者」だと思っている。それは、人格障害の犯罪の特徴でもある。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「自己評価の低い人格障害の人は、自分を安売りしたり、狡猾な者に利用されたり、明らかに不利益なことに献身して、自分の一生を無駄にしてしまいやすいのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「自己愛性人格障害の人は、「自分は特別であるから、特別扱いされなければならない」「自分は優れているから、人はそのことを認めねばならない」といった信念を持っている。そして、その信念に基づいて、自己愛者は、自分が優れていることを証明することに、命を燃やす。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より
-2018.07.14
「そこで、抑うつポジションに耐えられる自我の力がない場合、しばしば自らを守るために、ある手段を講じる。それが「躁的防衛」である。幼く、非現実的な万能感を抱くことで、自らの無力さ、後悔に打ちひしがれることから、自分を守るのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
觉得自己屌炸天,什么事情都能做到,比如让时间倒流啥的…
这就是所谓的「躁的防衛」…
「困難な事態に遭遇したとき、子供が二つの異なる状態を示すことを見出した。「妄想・分裂ポジション」と「抑うつポジション」である。抑うつポジションとは、失敗したり叱られて、塞ぎ込み、自分の無力や非を認めて、落ち込んでいる状態である。妄想・分裂ポジションとは、抑うつポジションより、もっと未熟な段階のもので、思い通りにならないとき、それを周囲のせいにして、欲望を満たしてくれない周囲を悪者とみなし、悪者に対して敵対したり、反撃を加えようとする状態である。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
「人格障害の人は必死に愛そうとするが、上手に愛することができない。もっと自然に、もっと楽に、もっと確かに、もっとゆったりと愛するということが難しいのだ。わざわざ困難な愛を選んだり、相手にも過酷な愛を課してしまいがちである。常に、愛すること、信じることのジレンマの中にいる。必死に愛そうとすればするほど、信じようとすればするほど、それは逃げていき、自分を、周囲を傷つけてしまうこともある。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
可以说写的已经非常贴了
「人格障害の人は、人と本当につながるということができにくい。見かけは、つながっているように見えても、どこか上辺だけのものだったり、演じているだけだったり、仮初のものだったりするのである。人格障害の人は、現実の人間をありのままに愛するということが難しいのである。本人自身も、これほど深く愛したことがないほど愛していても、実は、その人が愛しているのは、相手に映し出した自分の理想だったり、自分自身の似姿だったり、あるいは、かつて愛した存在との関係を重ねていたりするのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
やっぱ自分のことが一番好きやな
「強迫性人格障害の人は、自分の決めた通りにやれないのなら、やらない方がましだと考える。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
-2018.07.08
「人格障害の人の思考は中間がない。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
非黑即白…神经症人格的共通点…
「わがまま」や「頑固」も自分へのこだわりならば、「従順」過ぎる性格や「八方美人」な性格も、自分が愛されたいという過度な囚われからきているのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
两者虽然都是缺爱,想要被爱,但为了得到爱却是通过不同的方式,前者是通过pride,后者是通过奉献…(所谓的贡献型人格?)
「人格障害の人は自分に強いこだわりを持っている。それが過剰な自信や自慢好きとなって現れることもあれば、自分は存在する価値もないという、強いコンプレックスや自己否定となって現れることもある。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
两个极端,江歌案中的陈世峰属于前者吧…
-2018.07.05
「妄想性人格障害の人は、極度に疑り深いために、妻も友人も信用できない。常に裏切るのではないかと疑ってしまう。一方、依存性人格障害の人は、すぐに人を信じてしまう。とても騙されやすく、ときには、遊び人の甘い言葉を信じて、体を売ってまで貢いでしまったりする。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
いるわこいう人はな…
「自己愛性人格障害の人は、自分に過剰ともいえる自信を持ち、華々しい成功を夢見ている。一方、境界性人格障害の人は、自分は無価値だと思い、できれば消し去りたいと思っている。回避性人格障害の人は、攻撃や傷つけられることに敏感で、不安や葛藤を極力避けようとする。一方、反社会性人格障害の人は、不安を感じにくく、血沸き肉躍るような闘争状態や緊張した状態を、むしろ心地よく感じる。そのため、危険な行為や犯罪行為に走りやすい……。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
最近在知乎貌似看到好些类似以上几种人格的人,虽然有些并不是人格障碍,但人格特征很突出…
-2018.7.1
「順番を守れない大人がいる。待つことのできない大人がいる。黙って話を聞けない大人がいる。小学校や中学校の集まりに出かけていくと、必ず何組か、ぺちゃくちゃしゃべっている人がいる。大人がこうであっては、子供にどう教えるというのだ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
就算是在国民素质一直被竖大拇指的日本,这些现象好像也越来越多见了…
「欲望や衝動のコントロールが、どんどんできなくなっているといわれても仕方がない。 欲望や衝動のコントロールは、大脳皮質の前側に位置する前頭前野の機能によるところが大きい。前頭前野は、脳の中でも、もっとも成熟に時間を要する部分であり、十五歳から十八歳頃までの期間を完成に要する。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
现在算是知道“18禁”中的18是怎么来的了。
「今の大人は、いつまでも子供のようでありたいと、どこかで望んでいる。その結果、誕生したのは、本物の子供より、金と知恵と力を持っていて、怖いもの知らずで欲張りの、大人の姿をした子供だというわけだ。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
去年比较热门的江歌事件中听到过一个词“巨婴”,其中的关键人物刘鑫被网友呼作“巨婴”,其实个人感觉这类“巨婴”并不是简单的思想单纯的大人,而是失去控制力和底线的思想并不单纯的大人。所以巨婴的不是单纯的傻X,而是可能会对他人造成巨大伤害的欲望膨胀体而已。
「こうした困った大人たち、子供のように感情も行動もコントロールできない大人たちを蝕んでいるのが、人格障害という問題なのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田
尊司 著)より)
人格障碍の定義ですかね。
-2018.6.30
「実際、自分の都合次第で、賞賛と非難は簡単に裏返るのである。そのことに疑問さえ感じない人もいるのだが、こうした行動様式こそが、「人格障害」的な要素を含んでいるのである。昔の人は、そういう振る舞いを「節操がない」といい、戒めたのである。」(『人格障害の時代 (平凡社新書 229)』(岡田 尊司 著)より)
“没节操”原来是这个意思….
-2018.6.27